上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
7月11日の理科大藤村ユニットの最終講評会にお邪魔させていただきました。
藤村流の超線形設計プロセスを用いて
「浅草観光文化センター」のコンペを解くという課題。

藤村さんとはSFCで2年後期にやっていた松川昌平スタジオでお会いして以来、
建築ノートのTable of Youthの勉強会や松川スタジオ講評会での議論を通じて
僕の建築観や建築家観に大きな影響を与えている人です。
松川さんや藤村さんがご自身の設計プロセス論をぶつけ合っている場に居合わせて
おそるおそる口を挟ませてもらう、ってのがものすごく刺激的で、
自分のスタンスを定めていくにあたって、松川さん達と議論する時間は
とても大事なものだと思っています。

と、いうことで、
批判的工学主義を掲げているわけでもない学生達が超線形設計プロセスを
使ったときに、どれほど「多様」で「濃密」な解が出てきて、
そのプロセスを踏むことにどんな意味を持たせられるのかに
強い興味があったので、久々の早起きをして行ってまいりました。


討議風景


結論から言うと、「楽しめた」という感じでした。
超線形設計プロセス自体の価値も自分なりにだけど発見できたし、
あとからこうやって考えをまとめていても面白いです。

今の自分は、建築の一番の価値は空間そのものだと考えていて、
建築家は空間体験がどうであるかに対して
一番意識を払わなければいけないと思っています。
他にも大切にしている評価軸はいくつもあるし、
評価軸が多様・多次元であることが建築の面白さだとも思っていますが、
課題に取り組むときも、建築を見るときも、
学生作品の講評会を聴いているときも、基本的には空間の質を考えています。
「できあがったもの」で勝負するべきだということです。

けども、藤村ユニットでは「できあがったもの」への評価は
禁じられていて、プロセス(形態の変化過程とその説明)のみを
コメントの対象としなけばいけません。
これは尋常でないことです。けどこれが面白かった。

「できあがったもの」を評価する軸は十人十色なため、
価値観の合わない人とは深みのない水掛け論になりがちだし、
自分の価値観ではどうにも評価しようがない作品もでてきます。
だから、卒業制作で自分の価値観の集大成みたいなものを
アウトプットした(つもり)後に他の学生の卒制や課題作品を見ると、
おおざっぱに、自分と価値観が近い(=好き)ものと
そうでない(=何が優れているのかよくわからない)ものに分けられてしまって、
伊藤賞(SFCでの卒制審査会)以降の講評会で消化不良が続いていたのが
最近の悩みでした。smtの卒制日本一決定戦とかレモン展とかでも
3年生のときまでのドキドキが味わえないのはなんでだろう、って。

それが、藤村ユニットの講評会は楽しめた。
このことが超線形設計プロセスが「合意形成」のために
有用である、ということを裏付けている気がしました。
どんなに異なった価値観の人同士でも、
超線形設計プロセスを用いて生み出された建築の
「プロセス」に対してならば同じ土俵で対等に議論ができる。

うーん、本など読んでわかった気になっていたけども、
今回、身をもって感じられて良かった。
もちろん、ゲストで来ていた隈事務所の藤原さんが言っていたように
設計の過程において、一つひとつの判断に客観性があって論理的であることは
建築家が持つべき最低限の能力であって、それができたからって
別に褒められることではないのだけれど、このことは
良い建築を生み出すためだけじゃなくて、
お施主を説得するとか、自分の建築をメディアで説明するとかって場面で
いかに自分の建築の価値を他人と共有できるかという意味でも大事なんだ。
当たり前のことだけど、これも「実感」できて良かったです。


さてさてさて、
批判的工学主義において超線形設計プロセスが重要な役回りを務めていることは
よくわかったけども、理科大の学生達は批判的工学主義者だけではないし、
大半はまだスタンス(主義)を模索している状態だろうと思います。

ここからは学生の作品に触れながら、超線形設計プロセスを
教育に持ち込むことに関して感じたことを書こうと思ったのですが、
長くなりそうなので、このエントリーはここまでにしておきます。笑


あくまでも、「じゆう」にいかなきゃです。
しょっぱなから長文&駄文ですみません。

« back | main | next »

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。