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最近、いろいろと人に会う機会があると
できるだけ自分のポートフォリオを見てもらって
見ているところを観察したり
批評してもらったりしてます。

建築畑の人にもそうでない人にも
とにかくいっぱい見てもらっていったら
ようやく自分のポートフォリオの性質を客観視できるようになってきました。


昨日飲んだ人が非常にクリティカルなことを言っていて、
どうやら自分のポートフォリオは
「とあるライターが黒川の作品を紹介している」ような形式なのだと。

たしかに、a+uとかSDとか(=建築雑誌)をレイアウトの参考にして
作っていたから、これはごもっともな指摘で、
つまり、自分のポートフォリオは
設計者と読者の間に「メディア」を介してしまっていて
自分の主張がストレートに伝わらないように編集されてしまっていたってこと。

学校の制度変更とかいろいろな運的要素が強い事情が重なっていたとはいえ、
実際にスイスの大学院に入れなかったわけだから
自己表現力を含めた自分の実力に対する反省も
しっかりしなくてはいけないわけで、
今、自分のポートフォリオを見てみると、
海を越えてのセレクションに臨むにあたって
自分の姿勢の取り方はちょっと間違っていたなぁと思えてきます。

「俺のすげーんだぜー」っていう訴える力を意識して作らないと、
文化背景の違う外国人が口頭での説明や質疑応答なしで審査する、
っていう土俵に上がれないのでしょう。

「そりゃそうだろ」「何を今さら」って声が聞こえてきそうだけど、
「そうですよねすみません」って感じです。笑


最近で一番大きな気付きは、1ページの中に
どんなにたくさんの情報が詰まっていても、
逆にどんなに少ない情報しか載っていなくても、
結局その情報たちは「ページをめくる」という
全ページ共通の行為に回収されてしまうということ。

本っていう形式である以上、各ページの価値は同等であって、
よほどじっくり読んでくれる人でなければ
各ページから得られる情報の総量はどのページも同じくらいなのだと思う。
だから各ページの情報量にヒエラルキーを持たせて、
特に伝えたいことは1ページに「どーん」と置いて
細かい情報はページ内にいっぱい書いてあってもいい、っていうような
レイアウトを意識しなきゃいけないんだなぁと
これも「今さら」ですが、痛感しています。

一言で説明できる「わかりやすいだけの建築」はNGだと思っているから
どんどん言葉や画を増やしてしまったのだろうけど、
自分の建築に詰まっている情報たちや
計画の裏にある様々なストーリーは等価ではないはずだし、
大事なことを見極めて、自分の生の声を伝えるつもりで
紙に編み込んでいかなきゃいけないなぁということですね。


ポートフォリオは「読む」ものじゃなくて「見る」ものなんだから
伝わり方は画と声であることが大事で、文字でいちゃあダメなんだろうなぁ。


ホントに毎回いろんな発見させてもらえるので、どうかみなさま
僕と会ったらポートフォリオ見てコメントしてやって下さい。
提案内容に関してでも、まとめ方に関してでも。

実際、建築でなくても、なにかしら創造行為に携わっている人とは
設計提案そのものについて興味深い議論ができてたりして、
酒の肴として優れた役回りをしてくれてます。笑
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