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トップランナーにトクマルシューゴが出演していた。
顔を見るのも声を聞くのも今回が初めてだったけど、もっとこの人のことを知りたくなった。ここ最近の自分の建築設計やデザインの面での興味に合致するキーワードがいくつも出てきて、久々に多くを得られるテレビ番組に出会えた気がする。

トクマルシューゴは、2年前くらいにHさんがオミクロンで流しているのを聞いて、そのちょっと恥ずかしいイカれ具合に惹かれた。それで、それ以来、作業中によく聴いているアーティスト。
自分の中では「あまり知られていないけど密かに良い」みたいな枠に入っていたけど、実はバンクーバー五輪とか海外のCMにも使われちゃうくらいに注目のアーティストになっていたみたい。

番組中にトクマルシューゴは何度も「違和感」というコトバを口にしていた。
「違和感を持ち込むことで良いものにできたらいい。」
「普段吸っている空気に違和感はないし、それでは感動しない。」
「山の上で吸う空気はいつもと違う。それが良い違和感。」
「違和感が解消されたら面白くない。」

この「違和感」は、たぶん、篠原一男さんとかヴァレリオ・オルジャッティが『狙って』出しているものと同種のもので、この「違和感」をどう積極的に設計するか(orすべきでないのか)がここ半年間の自分の興味の対象だったりする。
最近はスカルパ、シザ、レヴェレンツ、青木淳さんもこのグループに入れて考えている。

MCの箭内さんは、トクマルシューゴの違和感は「絶対的なものなのか相対的なものなのか」というキレキレな発言をしていたけども、おっしゃる通り、この違和感は、建築でいうと「慣習」に対する「ずらし」で、つまり相対的なものだと思う。壁と壁が90度で交わってないとか、軒天がレンガで仕上がっているとか、そういう「前提を裏切る」ような操作だと思う。
上にあげた人たちは、こういう「ずらし」の操作で空間を体験する人の感覚の奥の方に『ん?』を生み出していると思う。スカルパやレヴェレンツも、設計の操作は違うけども、彼らの空間を体験すると自分の奥の方に意識的になれるという点は同じな気がしている。
音楽における「慣習」とか「前提」がどういうものなのかを知らないのが悔しいけども、トクマルシューゴの『ベースを使わない(=土台があると自由が失われるらしい)』とか『シンセサイザーを使わない(=楽器じゃないモノからでる偶然性がよいらしい)』とかは、「いつも通りなもの」に対しての「ずらし」だと思う。

こういう設計、デザイン、作曲はすごく魅力的に感じるけど、想像以上に難しいはず。というのは、『私はこういう違和感を設計しました』と言ってネタばらしをしては「違和感」でなくなってしまうから。設計中も完成後も「説明不可能生」や「説明禁止状態」を楽しむつもりいないといけないと思う。これは苦労すると思う。

うーん、
頭の中にいろんな考えが出てきて収集がつかなくなるから考察は終わり!
番組見た直後に、整理をせずに文章化することに意味があると信じる!

結局、最近ずーっと頭から離れないのは、この「興味」が自分の進むべき「道」なのかについての迷い。他人の設計をこの切り口から見るのは純粋に楽しいのだけども、自分の作品にこういう部分が見いだせるのかというと、あまり見つからない気がする。
人の感覚の奥の方に伝わるいわゆる「深さ」を信じている一方で、感覚の表面にすんなりと伝わる「わかりやすさ」も必要だと思う。ここのスタンスによって作品も表現方法もガラリと変わるから、1年前にポートフォリオを作ってからは、切実な問題としてずっと考えているけど、いまのところスタンスはまだ定まらない。
今のポートフォリオでは、しっくりする見せ方ができているから、これでどういうことが伝わるのかを観察したい。そしてなにより、もう丸一年も建築を設計することから離れているから、早く手を動かしたい。そうしたら、この迷いも前に進んでいく気がする。


「新鮮な違和感」を損なわないために、写真は外観のみで。

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Sigurd Lewerentz / St. Petri Church @ Klippan


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Carlo Scarpa / Querini Stampalia @Venezia


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青木淳 / 青森県立美術館 @青森県青森市


ミラノ工科大の締切が4日間も延長されたので、更新してみました。さすがイタリアです。
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